質素、清潔、秩序、そして持続

2014年、今年の目標は質素、清潔、秩序、そしてそれを持続して暮らすこと。

モノを購入するときに注意したいリスト

すべて自分の物がなくなってしまったら、買い物の始まり。

モノを購入するときに重視する点を以下にまとめてみた。

全部当てはまるモノなんてないけど、いくつ当てはまるか確認してから買い物しようっと〜 

 

 

それは必要であるか

 それは生活する上で必要なモノなのか、

 単に欲しいモノなのかを区別する必要がある。

 そして必要なモノを優先的に購入すること。

 欲しいモノを優先させる例外は、限定品である、流通量が少ないことに限る。

 

 

美しい外見を持っているか

 外見の美しさの観点は、人により異なるが、審美眼を磨いてきた人に従うべきであ  る。デザイナーや、芸術家といった専門家が太鼓判を押している場合、ファーストイ ンプレッションがイマイチでも、年月を経てみるとその造形が、理解できるようにな るときがある。

 デザイン賞の取得歴などで確認したい。

 
身の丈に、身の程にあった値段で購入できるか

 すべての条件が整ったモノでも、自身の財布にお金がなければ手にすることができな い。また、ランニングコストにも注意。

 ランニングコストがかかり過ぎる場合、モノの為に働くことになる。

 これはモノの奴隷を意味する。

 例外として、恋人のような扱いをするモノ(フェティシズム)へは例外的に許すべき だ。

 例えば、車が好きで、古いアルファロメオを買う人が、修理代を惜しむことは、恋人 を裏切るがごとくである。


 品質は最高か

 中古品を購入することがメインであるため、新品の時の品質が最上のモノであれば、 経年劣化も本質的な機能へ影響することは考えにくい。

 可能な限り、五感で品質を確認したい。

 これができない場合、レビューを大量に読むべきである。

 劣化しやすい商品を指摘したレビューは少ないが確かにある。


軽いか、小さいか

 重厚さを重要とする場合があるが、個人的には軽く、小さいことは、劇的な効率性を 証明する。

 さらに空間を圧迫せず、配置を変更する場合も楽にできる。

 そして捨てやすい。


シンプルであるか

 操作が簡単か、造形に無駄がないかを確認する。

 シンプルな造形は統一しやすく、何にでもあうのでコーディネートの手間が省ける。

 逆に複雑なモノを引き立たせることもできる。

 複雑なモノにも特有の美しさはあるが、私はシンプルを選びたい。好みの問題。


自分の巣にそれを置く場所は確保できているか

 お店から家に持って帰ったとき、どこに置くかイメージできているか。

 採寸がピッタリでありたい。


信頼や、実績があるブランドであるか

 私はブランドに無頓着ではあるが聞いたことがあるかないか、周りの人にも聞いてみ たい。世代により認知されるブランドは違う。

 より老舗のモノを優先させたい。時代を超越している証明にもなる。


劇的な効果をもたらしてくれるか

 初めて使ったとき、”驚き”の感情が生じれば、それは効果的であるといえる。

 

欠点は何か

 モノには欠点があるのでそれを必ず確認すること。

 音がうるさい、頻繁に手入れが必要など、使ってみないとわからないことも事前にし っているのといないのでは大違い。


本来の価値と値段に乖離がある場合、その理由が明示されているか

 シーズンオフに購入する場合、安くなる。傷がある。

 人気のない色である。

 その理由と乖離した値段を比較して疑問があればパスしたい。

 取引に隠し事はしたくないしされたくもない。誠実さの証明だろう。

 

それを買うことで別の物が必要にならないか

 洋服を買えば箪笥や衣装ケースが、車を買えば車庫やタイヤが必要になる。

 ちゃんと確認して、できればセットで購入したい。


拡張性はあるか

 今後、規格が変更になる商品を買うのは間違いである。

 規格に対応できるか確認しよう。

 自分で分解して気に入らない場所を修理できそうかも知っておきたい。

 

設計思想、商品の説明を細部まで調べたか

 ホームページ、レビューページで開発者インタビューなどを読みたい。

 妥協点や、力を入れたところを良く知っておくと、なるほどとなる。


色で迷った場合、モノトーンを尊重すること

 コーディネートがらくだから。

 ただし、これを見せたいんだというモノに関しては目をひく色を選ぶ。

 

怒りの断捨離

父親が母親の遺品に対して、「一周忌が終わるまではすべてそのままにしておく」といった。

 

私には我慢ならなかった、母が生活していたのは2階で、私が今すんでいるのも同じに買いだから。部屋を自由に使おうとしても大量の箪笥、机、ベッド、本棚が固定されていて、移動できない、私の荷物はすべて暫定的に配置され、落ち着いた生活ができないほどなのに、、、

 

 自分でも模様替えで気分転換したいし、母親の荷物がどこに何が、どれだけ眠っているのか確認しておくべきだし、洋服などは定期的に手入れが必要だ(全部私がやっている)。

 

そんな気持ちも知らないで、遺品の話をすれば怒りだし、週末は競馬に出かける、日がな一日テレビを見て、あははおほほ・・・

 

そんなこんなでランボー怒りの断捨離を決行しました。

 

洋服、カメラセット、パソコンのモニタ、本、大学時代の資料、洋服、バッグ、空気清浄機、昔の手紙、生徒手帳、など全部売っぱらってきました。

非常に晴れやかな気分です。

 

 

 

遺された物、捨てる理由、捨てない理由

赤い毛布があります。

私にはどのような経緯で家にその毛布があるのかは知りません。

 

その毛布はホコリがすごく出て、色もどぎつく、柄も昔のものなので、私は気に入っていません。

毛布は他にもあるし、今は安くてもっといい毛布が手軽に買えるのです。また、押し入れにしまうのにも、場所はとるし、湿気の管理も面倒です。私は捨てるべきだと思います。

 

でも、この決定を誰に聞いたらいいのかわからない。ましてや自分の判断でなんて・・・

母親が初めて自分の給料で買った毛布なのかもしれないし、何か思い入れがある毛布なのかもしれない。子供である私たちのためにかってくれた物かもしれない。

生前、母はその毛布にカバーをつけて使うようにしていました。「これなら大丈夫でしょ!」って感じでね。多分捨てるのがもったいないって思いもあったと思うし、捨てるのも面倒だし、新しいの買うのも面倒だって思いもあったと思う訳です。

 

遺品整理には、どんな些細なものでも上記のような葛藤でいっぱいになります。

この大変さは家にいる私しか知らない、外にいる兄弟には絶対にわからないものでしょう。